2017年10月の上旬、僕はオランダのアムステルダムに行った。当時の僕は、アリゾナにあるGlendale Community Collegeへの入学が決まっていた。でも、自分の目で確かめたいことがあった。
オランダに行った理由
僕は、日本のキックボクシングしか知らなかった。(もちろん、自分が関わってきた範囲で)しかし、キックボクシングは日本だけでなく、世界中で行われているし楽しまれている。
だから、日本の外でのキックボクシングはどのようなものなのかを見たかった。これから僕が従事していくキックボクシング という世界を感じたかった。
あともう一つ。高校生の頃からメッセージのやりとりをさせていただいていたオランダのキックボクシング 界をよく知っている方にお会いしたかった。
この二つを求めて、僕はGLORY 45 Amsterdamへ行った。
会場は、長方形の会場で、広さは大田区総合体育館を一回り小さくした感じ。
僕が到着したのは、大会の初めの方だったからお客さんの入りは5割くらいだったが、メインカードの時にはほぼ会場は満員だった。
正直少しガッカリした。なぜなら、客入り数も少ないし、お客さんも盛り上がっていなかったからである。
しかし、そんなこともなかったことが後にわかった。
僕は、会場でずっとお会いしたかったキックボクシングをオランダでずっと取材している方に声をかけていただき一緒に観戦することになった。
その方は、僕にキックボクシング の見方を優しく教えてくれた。キックボクシング の試合の展開も教えてくれた。
そのほかに、「GLORYは、PPV(ペイ・パー・ビュー:コンテンツ単位で課金して番組もしくは映像を視聴するシステム)で収益をあげているからゲート収入(チケット収入)にこだわらなくいいんだよ。」ということも教えてくれた。
僕は、会場の盛り上がりが欠けていた事に少し納得がいった。僕のヨーロッパのキックボクシングへの先入観が強すぎたのかもしれない。会場での日本的熱狂を求めて、試合会場に行った僕はまだまだ青かったというわけだ。

左:僕、右:オランダでお世話になった方
GLORYの出場選手たちのレベルは、高かった。
プロレスのような大技などの派手攻防ではなく、実力が拮抗しているため僅差の勝負が多かった。攻撃の受け返しの攻防での中の、駆け引きはとても魅力的だった覚えがある。
この日は、大会終了が遅かったのでホテルに戻った。
次の日は、ホテルの近くにあるゴッホ美術館へ行った。
オランダに来てよかったと思った理由

僕は、ヴィセイン・ヴァン・ゴーという人の生き方を知らなかった。
あんなに真っ正面から自分自身と向き合える人がこの世界にいた、とは知らなかった。
僕は、美術館ガイドを借りてそれを聞きながら館内をまわることにした。
美術館は、自画像の展示から始まったような気がする。
ゴッホは、とても多くの自画像を書いている。理由は諸説あるが、ゴッホは「自分自身と対話したかったんじゃないか」と、僕は思っている。
ゴッホは、5人兄弟の長男として育った。だが、同名のヴィセインと名付けなれた兄がゴッホの前にいたらしい。
(整理するために、説明するとゴッホというのが苗字(Family name)であり、ヴィセインというのが名前(Given name)である。)
同名の兄、ヴィセインは幼くして亡くなった。
両親は、幼くして亡くなったヴィセインのお墓を家の前にたてた。いわば、ヴィセイン・ヴァン・ゴー(ゴッホ)は、自分の家の前にある、自分と同じ名前のお墓をみて日々を過ごすのである。
僕は、彼が自分とは何かを問い続けて生きていたような感じがする。
ゴッホは精神病になり、精神科にも入院した。最終的に、自分の胸をピストルで撃ち自らの命を絶ってしまう。
彼の生き方を通して、僕は必死に生きるとは何かを自分に問い出すことができた。これは、GLORYというキックボクシング イベントをみるよりも僕には価値があったように感じた。
次の日は、オランダ目白ジムに連れて行っていただき練習を見学をした。


練習前に行う、正座から黙想。
マナートさんと、生徒さんが横一列に列をつくり向かいあい、マナートさんの「モクソウ」という掛け声がかかった。
この練習の入り方は、まさに日本の空手。
古き良きキックボクシング を見ることができた。
滞在したアムステルダムでは、ゴッホ美術館の他にアムステルダム国立美術館に行った。


ゴッホ美術館への感動が収まらなかったせいもあってか、良き絵画が多数あったにも関わらず自分の中の感動が薄かったのを覚えている。
まとめ
日本以外のキックボクシング に触れることで、自分の中でのキックボクシング 形成につながったこと。
ヴィセイン・ヴァン・ゴーという生き方に出会えたこと。
オランダで僕が感じたことは、僕の中でとても大切なことだった。僕はゴッホの生き方を語れるほど彼のことはわかっていないし、ゴッホほど自分と向き合い生きられていない。
しかし、少なからずゴッホの生き方とゴッホが描いた絵が僕に影響していることは、間違いがないらしい。