キックボクシングの文脈を知るために、なぜ私がこの本を最初に選んだかと言えば、大沢さんという人の生き方を知りたかったという単純な理由が大きい。私は選手だった当時(5年ほど前)、練習していたキックボクシングジムに大沢さんがフラッと現れ練習を始めた。彼の練習はすごかった。サンドバッグを止まらずに打ち続けていた。その姿は、70歳を越えた人とは、思えなかった。
当時の私は、大沢さんの偉大さを知らなかった。
しかし、この本を読んでいくうちに大沢昇という男がキックボクシングの創成期を支えた。という一つの事実があることがわかった。
本文より 手足を武器に戦うキックボクシング という新しい格闘スポーツが出現した背景には、多くの経緯があるが、格闘技としての原型はタイ国の「ムエタイ」(タイ式ボクシング)であった。
そして、昭和四十四年、民放四局がムエタイの日本版キックボクシング を放映することになる。
キックボクシングの最初の試合は「空手家」VS「ナックムエ」だった!?
プロモーターの野口修氏が大山倍達先生(極真空手創始者)を訪ねた。
野口氏は、タイ国に置けるタイ式ボクシング(ムエタイ)を日本に普及させようと、中心になる団体、そして選手を探し歩いていたのである。彼は多くの空手道場を見学し、最も実戦的な空手道場として極真会大山道場に辿り着いた。
話は、野口氏と大山先生との、“どちらが強いか”というところまでエスカレートした。
もちろん、ムエタイか日本の空手か、ということである。
ムエタイの強さと空手の強さを談義しているうちに野口氏が「ムエタイと試合をしてはどうか?」との話を出してきた。
負けてはならない試合。
極真会大山道場の看板を背負った大山先生が直接の返答に困っているのを見かねて、隣席していた黒崎師範が「私がその試合を受けましょう。」と黒崎師範の個人承諾の形でムエタイとの試合が決まった。
プロモーターの野口修氏を筆頭にコーチ役に黒崎師範、選手として、中村忠、藤平昭雄(大沢昇の本名)の二人は、ムエタイとの試合のためバンコクに、日本での猛練習をしたのち降り立った。
空手VSムエタイのルールとは??
しかし、空手とムエタイはそもそもルールが違った。
「日本で聞いた話によると、空手はあくまでも、素手で結構ということだったのだが、急にグローブをつけて行う、投げてはいけないなど、まったくムエタイ・ルールを適用してきたのである。これには大いに抗議したのだが、プロモーターの野口氏の顔を立てて、グローブだけはつけることにした。また、やっと投げだけはは許されたが、倒れた後の攻撃は許されなかった。」
もう一つ波乱が起きた。
コーチ役としてきていた黒崎師範が試合をすることを要求されたのである。
当初、日本の空手側からは四人選手を用意するはずだった。しかし、中村忠と藤平昭雄しかバンコクに渡れなかった。よって、タイ側より黒崎師範に選手として出てくれとの強硬な申し入れがあった。
空手VSムエタイの対抗戦は、日本の空手家が勝ち越した。
第一試合 黒崎師範
第二試合 中村忠
第三試合 藤平昭雄
の順で試合は行われた。
結果は、
第一試合 黒崎師範 KO負け
第二試合 中村忠 KO勝ち
第三試合 藤平昭雄 KO勝ち
しかし、この試合後の3人に人生は大きく変わっていた。
「一番スマートな試合をした中村忠の場合は、単身ニューヨークに文字どおり殴り込みをかけるほど精神的にも肉体的にも強い格闘家へと成長していった。」
「黒崎師範はその後、ヨーロッパへと発ち、空手普及のために約半年間滞在し、ヨーロッパの地に極真空手の根を下ろし、帰って来ると同時にキックボクシング の世界へと入っていったのである。「鬼の黒崎」と異名をとり、キックボクサー藤原敏男を育て上げ、タイ国現役チャンピオンを打ち破るという偉業を成し遂げたのである。」
「黒崎師範なくして極真空手あらず、また黒崎師範なくしてキックボクシング の発展もなかったと言われるように、その功績を知らぬものはいない。」
「藤平の場合、キックボクサー大沢昇として黒崎師範についていき、キックボクシング 界の原動力となって若い人たちの模範とないながら数々の偉業を成し遂げていったのである。」

考察
書かれていることが事実だとすれば、“キックボクシング ”は、「空手家の打倒ムエタイ」なのではないだろうか?という思いに至る。
タイ国の国技をキックボクシング と書き換え日本に持ち帰ってきたのではないか?とも思ってしまう。そう考えるとタイの方々に大変申し訳ないのでは、ないだろうか?
なぜなら、日本の柔道もJUDOとして世界に広がっているわけで、名前は書き換えてはいない。
キックボクシング とは、なんなのだろうか?という疑問に正確に答えるためには、ムエタイとキックボクシング の歴史をもっと深掘る必要がある。
空手とムエタイの対抗戦という試合は、「どちらの格闘技が強いのか?」というと問いに答えるものであり、強さという概念は時代とともに変わっていくものである。
しかし、キックボクシング という競技は消えないであろう。
そしてキックボクシング に出会う人もいるだろう。
これから、誰かがキックボクシングに出会いキックボクシングに夢を持つのであれば、キックボクサーという立場が社会の中で胸を張れるようなの世界にしたい。