野辺広大。
20歳でチャンピオンになり、キックボクシング団体 RISEのエースとして活躍した選手である。上下に打ち分けた的確なコンビネーションを得意とし、しなやかなハイキックで多くの選手をマットに沈めてきた。
しかし、彼は引退試合やセレモニーも行わずに静かにリングを後にした。
今、彼は何をしているのだろうか。
なぜ、若くして選手からの道を退いたのか。
今回は、第4代 RISEスーパーフェザー級王者 野辺広大の選手生活を振り返り、彼の引退を紐解いていく。
前編では、野辺の幼少期の空手、キックボクシングへの転向、プロデビューから、RISEスーパーフェザー級タイトルマッチにたどり着くまでについて振り返った。
今回の後編では、王者になってから現在までを振り返る。
RISE スーパーフェザー級王者奪取
大学2年の10月から始まった、第4代RISEスーパーフェザー級王座決定トーナメント戦。
このトーナメントを勝ち抜けば、念願のチャンピオンになれる絶好のチャンスだった。
一回戦の相手は、デビューから10連勝の勢いでタイトルマッチまで辿り着いた郷州力(ごうしゅうりき)。当時の同階級の王者だった小宮山工介とのタイトルマッチでは惜しくも敗れていたが、被弾を恐れず果敢に前に出るスタイルは多くのファンから支持されていた。
この試合前、RISEのリングで連勝していた野辺は他キックボクシング団体のチャンピオンと試合を行い、判定で敗れ連勝が7でストップしていた。この敗戦を機に、前に出てプレッシャーをかけてくる相手への対策と足腰強化のための走り込みを徹底的に行ったそうだ。
郷州戦に関しては全く負ける気がせずに試合に望めたという。多くの試合をしてきた野辺でもこのような経験は、初めてだったそうだ。
満足のいく練習をできたとしても、コンディション調整がうまくいかないことがある。
反対に、満足な練習ができなくても、コンディション調整がうまくいくこともある。
この時の野辺は、この両方がぴたりとハマり自信を持って試合ができたのだろう。
この試合に勝利し、決勝戦に駒を進めた。
試合前、リング上からみた会場の時計が7時20分だったのを鮮明に覚えている。
という不可思議な体験も話してくれた。
トーナメントの決勝戦であり、タイトルマッチの相手は、一階級下のRISEフェザー級王者でもある、花田元誓だった。
花田は、RISE同階級のタイトルマッチで小宮山に敗れ一階級落とし、王座を獲得。
トーナメントの準決勝では、野辺のAJパブリックジム時代の元同門であるSHIGERUに勝利し決勝に駒を進めていた。
メインイベントで行われたタイトルマッチ。
前に出てくる花田に対し、相手の正面に立たずに左右に動き、パンチとキックのコンビネーションを織り交ぜ5ラウンドを戦い抜き、見事勝利した。

全てのラウンドでステップを止めることなく動き続けるスタミナと的確に攻撃を当て続けられたのは、徹底的な走り込みとミットでの追い込みだけではなく、チームで練った戦略が功を奏したからであった。
野辺は、ヌンサヤームトレーナーのことを、ヌンさんと呼ぶ。
「ヌンさんは、最初のAJ時代は俺もアマチュアだったしミットも持ってくれなかった。だけど、真面目に練習してたら(ヌンさんの)休憩時間を割いてでもミットを持ってくれるようになって、教えてくれるようになった。今まで出会った多くのタイ人は、悪い言い方をすればお金だったら動くような感じだったんだけど、ヌンさんは違った。気持ちで動いてくれていた気がしたんだ。」
野辺は、アマチュア時代から指導を受けていたヌンサヤームトレーナーに、RISEのチャンピオンという結果で恩返しをすることができた。
そして、目指していたRISEのチャンピオンになった。
若くして王者になった野辺の活躍を誰もが期待していた。
活躍、敗北
RISEのチャンピオンになった野辺は、メインイベンターとして、他団体のチャンピオンだけではなく、外国人の強豪選手とも試合を行うようになった。
底知れぬスタミナと、伝家宝刀のハイキックを武器に、多くの現役王者対決を制した。
変則的なスタイルで当時勢いにのっていた、当時 REBELS 60kg 王者 の 町田光には敗れたものの、
高校生の時に出場したK-1甲子園で僅差で敗れた、当時 DEEP☆KICK60Kg王者並びにINNOVATIONライト級王者の山口佑馬 には、見事なハイキックを効かせリベンジを果たしている。
一度負けた相手への完全勝利は、野辺に自信をつけるものだったであろう。
しかし、勢いに乗っていた野辺の選手キャリアにも、影が差した。
それは、“コリアンデビル” チャンヒョン・リーに喫した二度の敗戦だった。
一度目の対戦は、RISE 116 後楽園ホールで行われたメインイベントだ。
チャンヒョン・リー(韓国)は、前へ前へとプレッシャーをかけ、強打を武器にノックアウトを量産してきている選手だった。
いつも通りステップワークと上下に散らしたコンビネーションで圧倒すると意気込んだ試合だった。
試合が開始するとプレッシャーをかけてくるチャンヒョン。
1ラウンドの終了間際にダウンを喫してしまった野辺。2ラウンド目から挽回をしようと前に出るが、レフェリーがブレイクから再開した直後にリーの放ったパンチは、野辺の視界を捉えることができず、野辺の顎を撃ち抜いた。野辺は、マットに沈み担架でリングから下りたのだった。

「以前より強さを増しているチャンヒョン・リーに正直驚いた。」という野辺。
今こそ、その言葉が言えるかもしれないが、脳のダメージの影響で試合の記憶が戻るのにしばらく時間がかかったそうだ。
一戦を挟み、約8ヶ月後に行われた2度目の対戦は、RISEスーパーフェザー級 タイトルマッチとして行われた。
この時期を境に、綾瀬のBRING IT ONパラエストラAKKで練習を行うようになる。
BRING IT ON は、練習場所を探していた野辺をメンバーとして向かい入れた。
タイトルマッチは、3分5ラウンド 無制限延長ラウンドとして行われた。
RISEでは、通常の試合は、3ラウンド延長なしで行われるが、タイトルマッチのみ5ラウンド 無制限延長のルールが用いられる。
試合が始まると、両手を高く上げ前へプレッシャーをかけてくる挑戦者 チャンヒョン・リーに対し、野辺は左の攻撃を当て距離を保とうとする。
しかし、強引に距離を詰めてくるチャンヒョン・リーに対応ができていない。
野辺は、入り際に左手を伸ばし相手を押すように試みようとするが、チャンヒョン・リーはその攻撃に合わして、右フックを斜め上から打ち下ろす。

このパンチを側頭部にもらってしまい、1ラウンドに痛恨のダウンを喫する。
第2ラウンドが始まり、立て直そうとする野辺だが、同じようなパターンで2度のダウンを喫した。
後がない野辺、しかしチャンヒョン・リーの強打の前に中々前に出れない。
5ラウンドの終了間際、ボディへの攻撃を嫌がるチャンヒョン・リーにラッシュをかけるがタイムアップ。
野辺は、リベンジを果たすことができず、初防衛戦にしてタイトルを奪われてしまった。
選手にとって1度の敗戦は積み上げてきたもの全てを失うことを意味し、選手としての価値評価において、その後の現役選手生活に大きな影響をもたらす。
幼い頃から、多くの試合を経験し、負けることの悔しさを知っていた野辺にとっては同じ相手への2度の敗戦は野辺を苦しめたであろう。
そんな野辺の復帰をサポートしていたのは、BRING IT ON の仲間達であった。
「あれからキックボクシングに、向き合えたのもBRING IT ONのみんながいたから。チャンピオンでない僕をチームに向かい入れてくれて、キックボクシングをできたのもみんなのおかげだった。本当に感謝している。」
と、野辺は話している。
再起
チャンヒョン・リーとのタイトルマッチに敗れたものの3ヶ月後には復帰戦を行い、他団体のチャンピオンに判定勝利を上げている。
そして、2018年3月に幕張メッセで行われたRISEのビッグイベントで、野辺との対戦をアピールしていた、“ミスターRISE” 裕樹 (ANCHOR GYM)と試合を行うことになる。
裕樹は、RISEに長年参戦し続けローキックを武器にRISE 三階級制覇を果たした伝説的な選手だ。キャリア前半は、70kgで活躍していた選手だったが、階級を下げ野辺との試合に至っていた。
二人は、一度エキシビジョンマッチで拳を交えており、この試合が実質2度の対戦となっていた。
試合が始まると、裕樹は、野辺にジリジリとプレッシャーをかけ、重いローキックを叩き込んでいく。ラウンドを追うごとに、野辺の持ち味であるステップは失速していった。
3ラウンドを戦い抜き、試合は延長戦にもつれ込んだ。
裕樹は、左のローキックを野辺の奥足である左足へ叩き込んでいく。

踏ん張りが効かず棒立ちになっている野辺は、そのまま倒れた。
試合は、裕樹のKO勝利。
裕樹は、雄叫びを上げた。
選手として、ローキックとボディでは絶対に倒れたくないという強い気持ちはあっただろう。
それは、意識があるうちに自ら倒れることを選択するからである。
しかし、多くの選手をローキックで粉砕してきた裕樹のローキックに意識をも、持っていかれるように野辺はマットへうつ伏せになった。
この敗戦を機に、野辺はリングから離れ診療放射線技師の国家資格の勉強に励んだ。
国家資格にも合格し、大学を卒業した野辺。
「この負けがなかったら、国家資格のための勉強にも専念していなかったかもしれないし、今思えば意味のあるの負けだったんだと思う。」
と、話す野辺の顔は、どこかすっきりしているように感じた。
復帰と引退
裕樹戦の敗戦後、野辺はリングから離れた。
その期間は、キックボクシングに関する情報をほぼ一切入れずに勉強に専念したそうだ。
野辺は、この敗戦から約一年半後 後楽園で行われたRISEのリングにて復帰戦を行った。
この復帰戦では、当時勢いのあったハードパンチャーである石月に危なげなく勝利している。
長期離脱からの復帰ほど、怖いものはあるだろうか。
大きな舞台への憧れから、キックボクシングに夢を持ちチャンピオンになった。
そこには、強くなりたい。1番になる。という強い意志があった。
この試合が野辺のキックボクシングキャリアにおいて最後の試合になった。
2020年3月に、RISEでの試合は決まっていたが、出場予定の大会自体が新型コロナ感染拡大の影響を受け中止された。
野辺が、復帰した理由は、「もう一度チャンピオンになりたい。」という想いがあったからだ。
野辺は、話す。
「その気持ちが無くなったから、引退を決めた。何事もやるからには1番を目指さなくちゃいけない。たとえ叶わなかったとしても。1番を目指せないのなら、やる意味が無いと思った。」
キックボクシング現役は引退します!
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3歳で空手を始めて格闘技と出会い、それがここまで続くとは自分でも思わなかった
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家族や周りの仲間、格闘技を通じていろんな人に出逢って、支えられてやってこれました。
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関わってくださった全ての方々に感謝致します。ありがとうございました! pic.twitter.com/B537MlbheF— 野辺 広大 (@nobe_ccch) August 24, 2020
今とこれから
野辺は専門学校を卒業し現在は、父の営む接骨院で柔道整復師として働いている。
慢性疾患を患う多くの方が、父のもとを訪れている。
「治療家としての道が、甘くないのは日々の仕事を通して身をもって感じているし、父のような治療家になれるのか、なれないのか。もしそうなれるとしても、それは何年後かわからない。」
そう話している野辺は、とても生き生きとしていた。
後書き
僕たちは、中学一年の春に新空手で試合をした時から、お互いを知っている。
僕が負けて、僕はそこからずっと彼を意識していた。
中学生の時は体格差があったが、高校生になり体格は追いつきプロの舞台でもう一度試合をした。
その時は、ドローだった。
彼には、一度も勝てなかった。
最後の試合は野辺くんとしたかった。という気持ちもあったが、それは実現しなかった。
そう、話を本題に戻そう。
この記事のテーマは、なぜ野辺くんは選手からの引退という道を選んだのだろうか。ということである。
彼の中の引退の理由は、チャンピオンを目指す気持ちがなくなったからであった。
そうさせてしまっている要因はなんだったのだろうか。
地上波のテレビで定期的に放送されていたK-1に影響されキックボクシングのチャンピオンを志し、キックボクシング 団体 RISEのチャンピオンになった。
同時期に、駆け上がっていった選手たちへのライバル意識は少なからずあったであろう。
ブランクから復帰して、自分の可能性も見えたのかもしれない。
幼い頃から、空手を始め中学生になる頃には大人達と練習をしていた。
キックボクシングの現実を直視してきたのだろう。
キックボクシングの選手として活躍できるのは、人生の中でごく限られた時間だと
野辺くんは、身をもって感じていたのではないかと思う。
だからこそ、彼は勉強も怠らなかった。
「引退後に、何をしたらいいのか。迷いたくなかった。」と、野辺くんは言った。
僕自身も
「選手時代は、全てを賭けろ。」
という指導者を、たくさん見てきた。
だが、決めるのは自分自身だ。
自分の選んだ決断を正当化させていくのは自分自身しかいないのだ。
勉強との両立、復帰、引退、全ての決断を自分でしてきてからこそ、今という時間に集中できるのだと思う。
この記事を書くのにあたり、東京のJR赤羽駅前で野辺くんと待ち合わせをした。
僕は、一つ心に引っかかってることがあった。
それは、野辺くんはキックボクシングへ一種の失望のようなものがあったのではないかということだ。
キックボクシングの現実を直視してきている彼は、格闘技ブームの衰退と共になくなった上位概念、ジムの閉鎖、所属先の変更、選手生活の短さや引退後の脳のダメージも、引退の理由にあったのではないかと思っていた。
しかし、そんな僕の心配をよそに野辺くんは屈託のない笑顔を見せ待ち合わせ場所に現れた。
屈託のない笑顔ができるのは、真っ直ぐ生きている証拠です。と誰かに言われたのをその時ふと思い出した。
後ろめたさも感じさせず、次の目標に向けて頑張り続けている野辺くんの姿を見ると、キックボクシングだけをやり続けていた当時の自分が情けなくなった。。。
拙い文ではありましたが、最後まで読んで下さっていただきありがとうございます。
そして、野辺くん。
キックボクシングの選手として共に時代を生きた野辺くんのことを記事として書けたこと、納得がいくまで何度もインタビューに応じてくれたことに、心からの感謝を伝えたいです。
ありがとうございます。
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