天才キックボクサーの見えなかった足跡 後編

アマチュアムエタイ金メダル獲得、怪物ボクサーに勝利、Kー1甲子園を一年生で制覇し、日本ライト級チャンピオンになり、その試合が最後に引退した 天才・キックボクサー 晴山翔栄。

前編では、空手・キックボクシングとの出会いから中学まで活躍を書いた。

後編では、Kー1甲子園王者と日本チャンピオンへの道のりを書いていく。


新空手GPでの敗北

中学校を卒業し、単位制の高校に進学した翔栄。
単位制の高校では、決まっている単位のクラスを受講する制度で、毎回クラスの生徒たちが変わっていたようだ。

高校へ進学した年の翌月の5月、東京武道館で行われた新空手GPに翔栄は出場した。

新空手は、1985年にスタート。(引用:全日本新空手道連盟について
アマチュアグローブ空手の原点として、約30年間、第一線にて約300回以上の大会を開催している。歴代のトーナメント優勝者には、のちの名キックボクサー達、Kー1選手達が名を綱ねる。

言うのであれば、新空手は、肘なしのキックボクシングの登竜門のような大会だった。

新空手GPは、その全国大会のような位置付けだった。

大会は、8人のトーナメント制で行われ、一回戦を勝ち抜いた翔栄の準決勝の相手は、翔栄より一つ学年が上の岩崎選手だった。

翔栄は、僅差の判定で敗れた。

岩崎選手は、リーチを生かして前に出てプレシャーをかけ続け優勝候補だった翔栄に勝利した。しかし、決勝戦でその岩崎選手も石田選手に敗れた。
優勝した石田選手も、翔栄より一つ学年が上で、その年に行われるKー1甲子園にも出場した選手だった。(公式結果

この試合結果を踏まえ翔栄と父は、その年に行われるKー1甲子園の出場を見送ることにしたのだった。

Kー1甲子園優勝

しかし、その年の8月に行われたKー1甲子園2010 地区代表決定戦 東日本ラウンドに翔栄は出場していた。新空手の運営側から出場してほしいと言われたそうだ。

Kー1甲子園は、2007年大晦日に始まった大会で文字通り、 Kー1というイベントにおいての高校生日本一を決める大会である。

2007年の優勝者は、兄・雄大。
2008年の優勝者は、魔裟斗2世と話題を呼んだHIROYA選手。
2009年の優勝者は、“怪物”一年生 野杁正明選手。

前年は、62kgと70kgの二階級で行われたが、この年は体重の幅を広く多くの選手を募り、65kgの一階級のみで行われた。

予選の位置づけである東日本ラウンドに、翔栄はシードで上がった2回戦から出場。

2回戦、一本勝ち。
準々決勝、3-0 判定勝ち。
準決勝、一本勝ち。
決勝、合わせ一本勝ち。

という圧倒的な強さを見せつけ、11月に行われる本戦への出場権を手にした。
(試合結果:https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201008260003-spnavi

本戦は、一階級のみ32人によるワンデートーナメント制で行われた。

 

ルールとラウンド数は以下の通り

Kー1甲子園ルール

1回戦〜3回戦 2分1ラウンド(延長1分30秒1ラウンド)
防具ありヘッドギアあり

準決勝、決勝 2分3ラウンド(延長2分1ラウンド)
防具ありヘッドギアなし

 

3分3ラウンド、もしくは3分5ラウンドで行われるプロの試合とは異なり、かなり短時間での試合となった。

出場選手には、後に活躍する数々の選手がいた。

前年の優勝者で、第2代K-1 WORLD GPスーパー・ライト級王者の野杁正明選手。
第3代K-1 WORLD GPスーパー・ウェルター級王者の木村ミノル選手
プロキックボクシング19戦無敗からONE Championshipで活躍中の 秋元皓貴選手
RISEで活躍中の山口裕人選手、柴田憂也選手
同年の新空手GP覇者 石井圭吾選手
翔栄が新空手GPで敗れた 岩崎悠斗選手

このメンバーでのトーナメント。
「本戦のメンバーをみて、コテンパンにやられると思った。」と翔栄は言う。

しかし、翔栄は気が楽だったという。
その理由は、父である塾長が、翔栄に優勝させる気がなかったからである。
そんなことは、過去一度もなかったと、翔栄自身は話す。

優勝させる気がなかったというと、かなり語弊があるかもしれないが、新空手GPでの敗北から、大会出場も見送ろうとしていたのだから、そうとも考えられるだろう。
「ベスト4くらいに入れれば。」と、父は翔栄に言ったそうだ。

気が楽になって試合ができたという翔栄。

一回戦 3-0  判定勝ち。
二回戦 3-0 判定勝ち。
準々決勝 2-1 判定勝ち。
準決勝  3R KO勝ち。
決勝  3R KO勝ち。

1日で5回の試合を勝ち抜き、優勝した。
(試合結果:https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201101040004-spnavi

第5回K-1 甲子園 パンフレットより

 

優勝者インタビューでは、このように話している。

父との練習、
K−1 甲子園初代チャンピオンの兄との対比、
新空手GPでの敗北。

いろいろなことを乗り越えての優勝だったであろう。

「1日がとても長かった。この時の達成感は、他には変えがたいものであった。」

と、この日を現時点から振り返り話してくれた。

プロデビュー戦と兄の引退

BRAVE HEATS 15, パンフレットより

2011年1月16日、新日本キックボクシング協会が主催する大会にて、翔栄はプロデビュー戦をむかえた。

相手は、スペイン人のクリスチャン。
27戦17勝8敗という戦績の外国人と、期待されている若手のホープが、デビュー戦で試合を組まれることは、今からは考えにくいかもしれない。

しかし、翔栄は、難なく3ラウンドを戦い抜き勝利した。

圧勝しているように見えたが、スタミナを持たせるのに必死だったと、話してくれた。
対戦相手であるクリスチャン選手の外国人特有の体の強さに、スタミナを削られたらしい。

翔栄がプロデビュー戦を勝利で飾ったこの大会のトリプルメインイベントフェザー級タイトルマッチに、兄・雄大は出場した。

BRAVE HEATS 15, 2011/1/16

雄大は初代Kー1甲子園チャンピオンになり、その後プロデビュー。
冷静な試合運びと的確なコンビネーションを武器に、プロデビュー戦から負けなしの11勝1分で、このタイトルマッチまで辿り着いた。

雄大は、この試合に勝利し新日本キックボクシング協会フェザー級チャンピオンに輝いた。

しかし、雄大はこの試合を最後にリングから退いた。

雄大のブログには、このように書いてある。

昨日、発表がありました通り自分はキックボクシングの世界から引退することになりました。

もっと早く、自分の口からきちんとお伝えしたかったのですが色々と事情がありこんな形で今になってしまい大変申し訳ありません。

自分は、館長を始め両親、トレーナーの皆様、先輩方、周りの協力者の方々、そしてファンの皆様に支えられお陰様でここまで来ることが出来ました。
本当に心から感謝しております。

今自分には新たな夢があります。
その夢を叶えるために決断しました。

翔栄によると、雄大は法律に関わる仕事の国家資格を独学で勉強して取得し仕事をしているそうだ。

兄の背中を追い続けていた、翔栄。
前編にも書いたが、翔栄にとってキックボクサー雄大が理想の選手像だったそうだ。

「雄大には、やめないでもらいたかった。」と翔栄は話す。

しかし、現在活躍するあるキックボクサーのある一言に救われたそうだ。

やめたくても、やめれないのが、ジュニアからやってきた選手の宿命。
しかし、やめさせてもらえる前例を作ったのが雄大くんだよね。」

翔栄は、ここから自身の目標に向けて進むことになる。

新日本キックボクシング協会ライト級チャンピオンに

翔栄は、2014年5月のタイトルマッチまで着々と試合を積み重ねていった。

翔栄は、16戦というプロキャリアにおいて、タイ人と3試合行った。
しかし、タイ人との戦績は2敗1分と1度も勝利することができなかった。

プロデビューから8戦目で対戦した、ガイファー・ラジャサクレックとの試合。
自分より低身長の選手と、プロになって初めて試合をしたいう翔栄。
結果は、判定負けだった。この試合が翔栄のプロキャリアにおいて初めての敗北だった。

キャリア14戦目で、モンコンデート・シットウウボン選手にも、敗れた翔栄。

多くのタイ人選手は、幼い頃からムエタイをはじめ、幼くしてリングに立つ。
独特な試合運びと、首相撲への対応は骨の髄まで染み込んでいるといってもよいだろう。

そのタイ人選手の、ムエタイをベースとしたリズムと首相撲の試合展開を苦手としていたのは明らかだった。

15戦目は、千久(かずなが)選手との試合だった。

この試合の前日に、翔栄はなんとバイクから転倒し大怪我を負っていた。

バイクで運転中「ボーッ」としていたら、前の車が急停止した。
ブレーキをかけたら、前の車を飛び越え、顎から落ちた。


翔栄の顎は折れていて、傷口はパックリ割れていて親指がすっぽり入るほどだったという。

家に帰り、傷口を父に見せると

父は、
「お客さんを呼んでいるんだからやるしかないだろ。」
と言った。

翔栄は、やるしかなかった。

彼は、病院に行き、傷口をホチキスのようなもので縫ってもらい、アロンアルファを傷口につけて試合に出たそうだ。
漫画みたいな話である。

結果は判定勝ちだった。

だが、この試合の後、集中治療室に入り手術のため約1ヶ月の入院したそうだ。

事故後ギリギリ判定勝ちした試合から7ヶ月後が、勝次選手とのタイトルマッチだった。

タイトルマッチが決まってから、普段練習している晴山塾ではなく、兄・雄大も練習していた治政館へ週2回練習へいったそうだ。

夕方の5時〜夜10時の間、タイ人のコーチについてみっちりみてもらい、5ラウンドで行われるタイトルマッチに向けてスタミナをつける練習をしたそうだ。

晴山塾では、父との練習。
時間は、1時間ほどの練習の日もあったが、父との練習はとにかくキツかったそうだ。

翔栄は、7ヶ月のブランクがあるのに対し、勝次選手は4連勝と勢いに乗っていた。

ゴングがなり、試合が始まった。
勝次選手の正面に立たないよう小刻みステップを踏み、前足のキックで勝次選手の出鼻を挫く翔栄。

翔栄を追いかける勝次選手もなかなか距離が詰められない。

一進一退の攻防で迎えた3ラウンド目。
左のアッパーからの右フックで、翔栄がダウンを奪う。
ダウンを奪いセコンドに帰ってくると、セコンドは翔栄に
「ダウンを取ったの忘れろ。」と声をかけたという。
翔栄は気を引き締めて4ラウンド目へ臨んだ。

しかし、4ラウンド目の後半に、勝次選手が放った右ストレートが翔栄の顔面を直撃し、顔をのけぞらせる。倒すしかなくなった勝次選手は、最終5ラウンドに必死で追いかけるものの翔栄はステップを使い的を絞らせなかった。

結果は、翔栄の判定勝利。
翔栄は、新日本キックボクシング協会ライト級チャンピオンに輝いた。
決め手は、3ラウンド目に奪ったダウンだったのに、異論はないだろう。

翔栄は、兄と同じように、Kー1甲子園チャンピオンになり新日本キックボクシング協会にチャンピンになったのだった。

しかし、翔栄はこの試合の直後から不調を訴え病院に搬送され、入院を余儀なくされた。
診断は、外傷性硬膜下血腫だった。

原因は、4ラウンド目に受けた勝次選手の右ストレートだったそうだ。
4ラウンドに右のストレートを被弾した後から、相手が二重に見えたそうだ。

この診断を受けて翔栄は、選手を引退することになった。

父と兄の影響で出会った、空手・キックボクシング。

家族の生活の中心は、空手・キックボクシングであっただろう。

幼少期の反復練習と、選抜メンバーに選ばれなかった悔しい経験。

グローブ空手・アマチュアキックボクシングでの試合の数々。

アマチュアムエタイ金メダル獲得、Kー1甲子園の優勝、日本ライト級チャンピオン獲得。

雄大という、兄と自分を比較し追い続けていたのかもしれない。

父との練習では、苦しい日々もあったはずだ。
ここに書ききれないことは、まだまだたくさんあるし、翔栄という人の魅力は会ってみて感じるものだ。

翔栄の選手としての濃縮された日々を通して、彼は今自分の見つめ直し進んでいる。

翔栄の今とこれから

翔栄は、現在個人事業主で事業を展開している。
建築、引越し、ハウスクリーニング、害虫駆除、ゴミの片付け、遺品整理、電気工事、エアコンの取り付け、車検の代行など、あらゆることをしているそうだ。

また父が代表を務める晴山塾の生徒さん達の指導にも時間を見つけては行っているとのことだ。

「今後は、夢を持つのではなく目標を持ちたい。また、今後やっていきたいことを、あと数年で見定めたい。」を話してくれた。

後書き

翔栄と私が出会ったのは、幼い頃である。

翔栄ほど無邪気で人懐っこい人は珍しいと思う。

そして、翔栄は強かった。

私は、中学一年の春に晴山塾に入り、3年間翔栄の背中を追い続けた。

ほぼ毎日翔栄とスパーリングを行ったが、彼に一度も勝てたことはない。

ほぼ毎日ボコボコにされたが、その分強くなったのかもしれない。

翔栄には勝てなかったが、アマチュアの試合では同年代に負けることはあまりなかった。

翔栄より強くなりたくて、晴山塾を辞め他のチームへ移籍した。

しかし、翔栄との試合は実現しなかった。

私が練習後の短期的な記憶喪失から病院に行き、ドクターに引退を宣言された2日後に翔栄はタイトルマッチに勝利しチャンピオンになった。

しかし、翔栄はその試合を最後に引退した。

彼は私の前を走り続け、僕は追い続けるのかもしれない。

一生追いつけないかもしれないと思いつつ、追いかけなければいけない大きな背中を見せ続けてくる数少ない一人である。


参考記事

選手名鑑 翔栄:https://efight.jp/playermeikan-20121029_5039
K-1 甲子園東日本ラウンド:https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201008260003-spnavi
K-1 甲子園2010:https://gbring.com/sokuho/result/result2010_11/1120_k-1.htm
兄の雄大 引退:http://gbring.com/sokuho/news/2011_08/0828_shinkick.htm
タイトルマッチ:https://efight.jp/result-20140518_31362
勝次選手インタビュー:http://rebels.jp/detail.php?category=INTERVIEW&id=interview_20190319-01
引退式:https://efight.jp/result-20170108_253384/3


翔栄とのPodcastもぜひお聞きください。